⑫キリシタンの町口之津でクリスマス

 

12キリシタンの町口之津でクリスマス

 口之津では、アルメイダが行った15日間の布教で、250人もの町民が洗礼を受けました。この成功によってイエズス会はここにも新しい教会を建てました。

 

 ところで、キリシタン大名大村純忠領内の横瀬浦は、イエズス会布教本部となり、大村純忠が横瀬浦をイエズス会に寄進したことで、南蛮貿易船の来航も増え、大変栄えていました。

 しかし、反純忠派のクーデターが勃発します。大村純忠は危うく難を逃れ、クーデターは失敗に終わったものの、横瀬浦は針尾伊賀守により焼かれてしまいます。

大村純忠の安否も一時は不明となり、大村領内はしばらく混乱を極めました。

 

 【 大河ドラマ 信長 KING OF ZIPANGU 】

 第20回に横瀬浦炎上の様子も描かれています。

 

 1564年の夏頃、布教本部横瀬浦の焼き討ちで、苦境に立たされていたトルレスは、有馬義貞から、「わが領内に来られよ」との申し出を受け、口之津に布教本部を移しました。

 1565年アルメイダはクリスマスを口之津でむかえました。「当地においては一人の異教徒もなきがゆえにかくのごときことも可能なり」と、日本で初めて男女の少年少女合唱団が編成されたことを「聞くものをして驚かしむるほどで・・・私より2倍も聖歌を覚えており、発声、歌い方ははなはだよく」と誉めています。