⑮1569大友宗麟の介在で騒動収束

天草布教騒動年表

出来事
1566  アルメイダ志岐で布教開始
1569  崎津に教会を設立し布教開始
   天草鎮尚の弟達が天草布教騒動
   家老の野田吉右衛門、口之津に避難
 

 アルメイダからの知らせを受け、大友宗麟は、

 天草鎮尚に支援を約束する手紙と緞子三反を贈った

   刑部小輔(鎮尚の弟)ら、島津に支援を要請
   鎮尚の助言でアルメイダは口之津に帰った
   刑部小輔ら河内浦城を包囲。鎮尚は本渡城へ
 

  鎮尚は、志岐麟泉に応援を求め、河内浦城奪回の報酬として

 城一つを麟泉へ(島子の城?)

 

 島津義虎は、出陣の機を逸する

 

 刑部小輔らは、久玉城に逃れ籠城

1570

 志岐麟泉は、キリスト教を棄教

 

 河内浦は志岐に代わって天草キリシタンの拠点に

1571  天草鎮尚、天草久種受洗
1573  志岐麟泉、天草鎮尚と刑部小輔らの和解を仲介するが不調
1574  島津義虎、久玉城の割譲を要求する
1576

 島津義虎と天草鎮尚との間で和議が成立

 天草久種を島津へ人質として出し、

 久玉に立て籠もっていた刑部小輔は 相良義陽のもとへ、

 大和守は大矢野氏のもとへ