当時のリスボンは異端審問の嵐が吹き荒れていました。
キリスト教徒ではありながら、ユダヤの血が流れているアルメイダにとってリスボンは住みやすい場所ではなくなっていたみたいです。
アルメイダは、リスボンでの医師開業を断念し、インド・ゴアの王立病院で外科医として勤務します。
やがて、貿易商でアルメイダの父の友人であるドゥアルテ・ダ・ガーマが運営するガーマ商会の船内医としてマラッカと中国南部・ランパカオ間を往復します。